当社代表について

 当社代表 古平恵一は、1962年に東京都杉並区に生まれました。父は大学教員、母は小学校教員、祖父母も教員という教員一家に生まれたのですが、なぜか生まれた昭和30年代から自宅の敷地の一角にアパートが建っており、教員をしながらもアパート経営をしている家だったのです。(聞いたところによるとこれは祖母の才覚だったそう(祖母の家系をたどっていくと源流は三河の鉄砲商人だったとこと)です。


当社代表は、教員の一家に生まれましたが、大学(農学部)を出るとまずコンピュータを学びたいと小さなIT会社(当時はこういう言い方はありませんでしたが)に入社し、原子力発電所の気象観測プログラムの開発にたずさわりました。その後、学生時代からのつながりをたよりに米国で開発された自然体験教育プログラムの日本へのライセンス普及ビジネスを24歳で会社を立ち上げました。


そのビジネスは、一定の成果をあげ、全国で会員1万人、売上も最大で年商2億5千万(2000年度実績)に達しました。しかし、当社代表は、ビジネスは一定程度成功したものの、「自分の人生をこれだけで終わらせたくない」と強く思ってしまったのです。そこで、次に何をやるかを考えたいと38歳で大学院に入学しました。そこで出会ったのが「環境教育」の研究という世界でした。環境教育の研究者として修士課程、博士課程を通してトレーニングを受け、そののち48歳で大学の専任教員となりました。大学の教員という世界は、助教→講師→准教授→教授と一種の階級(もちろん軍や警察の階級とは全く違います)みたいなところがありますが、48歳で着任したのは准教授というポストでした。昔と異なり今は准教授から教授に昇格するのも様々な要件をクリアしなければならず簡単ではないのですが、7年かかってそうした要件を1つ1つクリアした結果、教授に昇格しました。

これで満足すべきなのかもしれませんが、当社代表は、またここでも「自分の人生をこれだけで終わらせたくない」と強く思ってしまったのです。ちょうどその頃が実家をシェアハウスにするプロジェクトを進めていた時期でもありました。もともと24歳で立ち上げた会社は大学の専任教員になったときにすべて手放しましたので、この機会に新たな会社として当社を立ち上げました。そしてこの3年間、ほぼ1年に一棟のペースで物件を増やし、2020年6月で3期目の決算を終え、4期目に入りました。現在、運営しているシェアハウス2棟、賃貸アパート2棟になります。そして、このほど会社の次の発展に向け、シェアハウス(民泊・貸家含む)のコンサルティングを新規事業として開始いたした次第です。

ありがたいことに当社代表とお話をされる方は皆さま、当社代表を「ユニーク」、「面白い」、「経歴がすごい」と評価してくださいます。自分ではなかなか気づかないのですが、当社代表とお話をしてくださることで、何か他の方とのお話にはない「気づき」や「発見」を得ていただけるのでしたらこんなにうれしいことはありません。

ぜひお気軽に当社代表とお話ください。(ちなみに当社代表はこの事業ではビジネスネームを使用しております。)ご連絡はフェイスブックやメッセンジャーでいただけますと幸いです。









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